【第2話】賑やかな食卓

「全くついてないわ……」
 ドレッサーの前でアリスは小さくため息をつきながらも、髪をとかす手を止めなかった。
 いつもよりもひどい寝癖に、何故か鳴らなかった目覚まし時計。
 加えて今日は数少ない外出許可の日だというのに、既に陽は半分も傾いていた。
「これじゃあ、もう今日は遊びに行けないわね」
 それでもなお、アリスは髪をとかす手を止めない。それどころかいつもよりも手早い動きで櫛を動かしては、頭の中でクローゼットを開いて着ていく洋服をあれじゃないこれじゃないと選んでいた。
「……よし、決めたわ」
 ストレートに落ちた金の髪を鏡ごしに何度も見て、納得がいったように頷くと軽やかな足取りでクローゼットへと向かう。
 肩口からずらしたロングのネグリジェを床に落とすと、クローゼットの扉に手をかける。
「相変わらずお姫様みたいな服ね。アリスは」
 不意にかけられた言葉にドキッとしつつも、アリスはあくまで平静を装って返す。
「ベビードールなんて着てるの、あなたくらいよ」
「なによ。可愛くて、扇情的で、あたしらしいでしょ?」
「確かにツムギらしいわ。もう少しツナギを見習ったら?」
 ツムギはムッと眉間にしわを寄せると、それ以上は何も言わずに踵を返す。そんな後ろ姿に、「そういえば」とアリスは声をかけた。
「ツムギがいるなんて珍しいわね。今日はどうかしたの?」
 アリスの言葉にツムギは歩みを止める。
「別に。ただ、なんとなくね――」
 ツムギはふっと顔を上に向けると、不敵な笑みを浮かべて言葉を続けた。
「――今日は、ありそうな気がしただけ」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「アリスちゃん、おはようございます」
 アリスがダイニングに入ると、アマタが昼食の支度をしていた。
「アマタ、おはよう。……良い匂いね」
 鼻をひくつかせて匂いを嗅ぐアリスを見ながら、アマタは嬉しそうに「えへへ」と頬を染めた。
「今日のお昼はお味噌汁に肉じゃがと卵焼き。それに、お漬物なんですけど……アリスちゃんも食べますか?」
「日本食ね。ええ、頂いても良いかしら」
「はい! もう少し待ってくださいね」
 アマタは声を弾ませながら、溶いた卵をフライパンへと流し込む。
「ひょっとして、アマタも今日はお寝坊さんなの?」
「いいえ? ちゃんと朝ご飯も食べました!」
「それじゃあ、なんで残っているのかしら? 今日が外出許可日なのを忘れたわけじゃないでしょう?」
「はい。でも、なんだかソワソワしちゃって」
「そわそわ?」
「えへへ。仲間が増える気がしたんです。なんとなくなんですけどね」
 その言葉の指している意味を知りながら、アマタはなおも嬉しそうに微笑む。
「……そう。アマタは賑やかなの好きだものね」
「はい!」
 その言葉と共に、卵焼きはふわりと宙を舞った。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 ――ツナギちゃん呼んできてくれますか? 部屋にいるハズなので。

 テーブルに食器類を並べながら、アマタはアリスへとそんなお願いをした。
 アマタが余りにもテキパキと動くので手持ち無沙汰になっていたアリスは、喜んでその頼みを引き受けた。
「グラスは一、二、三、四……五つあったわね」
 アリスは指折り数えながら、廊下を歩む。
 普段とは違い静寂に包まれた廊下。庭からも賑やかな声は聞こえることはなく、どこかいつもと違う場所を歩いている錯覚さえ覚えた。
「たまにはいいかもね。こういうのも」
 呟いて、ピタリと足を止める。
 アリスの隣の部屋。『ツナギ&ツムギ』と手書きで書かれたネームプレートの下がった扉をコンコンとノックする。
「ツナギ、昼食の準備出来てるわよ」
 扉に向かって声をかけると、中からぱたぱたという物音がして、しばらくすると扉が開いた。
「お待たせ。……アリスが残ってるなんて珍しいね」
「ええ。さっきまで夢の中よ。不吉の前触れとしか思えないわ」
 大げさな手振りでアリスが不吉ぶりを表すと、ツナギはくすくすと笑った。
「みんな考えてることは同じだね」
「あなたもなの?」
「うん。昨日の夜にお兄さんが難しそうな顔してたから」
 ツナギの言葉に、アリスは呆れたような表情で外を眺めた。
「全く。顔に出すなんて、圭にも困ったものね」
「無理もないよ。お兄さんは優しい人だから」

 ダイニングに戻ると、既にアマタとツムギは椅子へと腰をかけていた。
「遅かったわね。アマタがいなかったらとっくに食べてたわ」
 ツムギは片手で箸をくるくると回しながら二人を急かす。
 テーブルには大皿に盛られた肉じゃがの山と卵焼き。それぞれの席には湯気の上がった白米と味噌汁、それに小鉢に盛られた漬物が置かれていた。
「それは悪かったわね。でも、まだ一人来てないでしょう?」
 言ったそばから、慌ただしくダイニングへと向かう足音が遠くから聞こえてきた。
 その間にアリスとツナギはさぞ前から座っていたかのようにしれっと椅子に腰をかける。
 しばらくすると、足音の主は滑り込むようにダイニングへとやってきた。

「遅い」
「遅かったわね」
「遅かったですね」
「遅いですよ」

 同時にかけられる声に頭を掻きながらも、笑顔を絶やさずに彼――園宮圭は号令をかけた。
「すまん、みんな。さあ、ご飯にしようか」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「アマタ、また腕を上げたな」
 肉じゃがを箸でつつきながら、圭はアマタへ賛辞の言葉を投げかける。
「そうね。漬物も良い具合だわ」
「お、そうか。どれどれ……」
 圭が自分の小鉢へと箸を伸ばした瞬間、ツムギが素早い箸捌きで圭の小鉢を空にしていった。
「おい、ツムギ! 俺の漬物を返せ!」
「ふふん、無理な相談ね。返してほしければあたしの箸から奪って見せなさい!」
 圭は負けじと箸を巧みに操って対抗するが、ツムギの箸捌きは常人のそれを逸していた。
 箸は漬物を掴んだまま手の甲をくるりと周り、かと思えば漬物は時折宙を舞って圭の箸を回避する。
 どこかおかしいと訝しんだ圭はツムギをじっと見つめると、あることに気がついた。
「お前……心なしか大きくなってないか?」
「今さら気付いても遅いわよ。あたしは箸捌きの世界チャンピオンなんだから」
 もう勝負は終わりとばかりに漬物はツムギの口の中へと消えていった。
「こんなところで能力を使うな!」

「それにしても、見事に実働部隊のメンバーだけ残ったわね」
 先ほどの喧噪が嘘のように、皆で紅茶を飲みながら一息ついていた。
 テーブルから和風の食器は下げられ、今あるのはティーカップにポット、それとクッキーの乗ったプレートのみ。
「おいおい、実働部隊だなんて物騒な名前をつけるな。お前たちはお遣いチームだ」
 圭のずるずると気品の欠片もない飲み方に、アリスは口をとがらせて返した。
「随分と物騒なお遣いだけれどね」
 うっ、と痛いところを突かれたというように圭は唸る。
「それは本当に悪いと思ってる。ずっと代わりを探してるんだがな……」
「そりゃあ簡単には見つかりっこないわよね。あたしたちより強いのなんて」
 ツムギの大胆不敵な言葉に、圭も周りも誰一人として口を挟むことはなかった。
「……もう話してもいいんじゃないかしら。どうせアタシたちしかいないんだもの」
「話すってなにを?」
「とぼけても無駄ですよ。みんななんとなく気付いてるんですから」
 いつの間にか圭を取り囲む視線は、浮ついたものからピリッとした緊張感へと変わっていた。
「……そうか。本当にお前たちは敏感だな」
 いつの頃からなのだろうと、少女たちは思った。
 自分たちもきっとこうして救われたのだろうと、少女たちは思った。
 だからこそ思う。何故彼はそこまでするのだろうと。
 恥も外聞もなく、自分のプライドなど投げ捨てて――

「頼む。ある少女を救ってほしいんだ」

 ――見知らぬ少女のために頭を下げるのだろうと。